小学校
低学年の頃はあまり覚えていない。
高学年の記憶はそこそこある。担任の先生がサイコーだった。
小4から小6の三年間で、自分の人格の基礎ができたと思う。
一応ページを作ったのでどんな子供だったかざっと書いてみた。
スポーツ
小学校2年までは背も高く、足も速くて運動会のリレーの選手もやっていたが、成長期に入った同級生たちにどんどん抜かれ、6年になる頃には短距離走は凡人だった。長距離走は根性でどうにかなったようで、毎年学年2位だった。
ドッヂボールは結構盛んで、6年になっても朝早く来たやつみんなで楽しんでた。いつからか肩が悪くなって、ボールを上から投げられなくなって、アンダースローをするようになってた気がする。
サッカー
地元のサッカークラブに入って週2で練習していた。
小6になって、リフティングが100回できたときに感動した。試合ではディフェンス陣だったので、なかなか点に絡めず、フォワードが羨ましかった。今思えばあまり上手くなかったのは、思い描くプレーができるほど、体ができていなかったのだと、高校で筋肉をつけてから悟った。
そういえば最後のローカルな大会の日に、家族旅行が入ったため出られず、非国民扱いをされて苦しかったことを覚えている。森家は兄弟で新聞配達をしていたため、親の休みと新聞の休刊日が重なる日にしか旅行ができなかったため、サッカーの試合に出るために家族旅行を潰すことは気がはばかれたため、俺は涙を飲んだ。まぁ公式戦は済んでいたし、町長杯だったから、今思えばたいしたことはないが。
児童会
兄二人は児童会の副会長をしていたが、俺は出馬せず、執行部の議長をした。今思えば児童会長ぐらい楽しんでやれば良かったのだが、得票する政治的側面があまり好きでなかったのだろうと思う。そのあたりは選挙で土下座して一票を得て、当選後にふんぞり返る政治家を見習えばよかったとも思う。
ともかく前期で議長を務め、後期は保健給食委員会の委員長をしてみた。保健給食委員というのは、女性率が非常に高く、俺が委員長になったことには副委員長からかなりのブーイングを受けた。当時副委員長の女の子とは隣のクラスだったのだが、なぜか知らんが仲が微妙に悪かったので面倒だった気がする。 議長も保健給食委員長も、どちらも違った点で組織運営を経験できたのでずいぶんと成長できた気がする。とは言っても児童会レベルだが。
その他
我が家にはファミコンに関する鉄の掟があり、どれか一つでも破ると、兄弟が連帯責任でファミコン禁止とされていた。
①宿題をした後でなければファミコン禁止。
②ファミコンは週に90分まで。(ホワイトボードにプレイ可能な残り時間が記載されて兄弟で監視)
③ファミコンの本体とソフトは使用後に箱に片付ける。
どれも中学以降は無視された掟だが、小学校時代のこの掟は非常によかったと思う。ドラクエとくにお君シリーズはよくやり込んだ。
勉強はコツコツやる方だったが、九九の暗記の時にメチャクチャ頑張ったことぐらいしか覚えていない。本はほとんど読まず、4年の時にドラクエの小説読んでから、ドラクエⅣとⅤの小説だけは読んだ記憶がある。虫とか動物も嫌いだったので、山や川にはあまり行かなかった。