中学校
中学時代は反抗期でどうしようもなかった。
自分自身も周りも成長期・反抗期だったため、正直ロクな思い出がない。
いつも荒れていた気がする。
サッカー部の顧問と英語教師、体育教師が大嫌いで、事あるごとに反抗していた。
小学校時代の恩師に出会っていなければ、俺は間違いなく非行に走ったと思う。
教師との戦い
サッカー部の顧問の教師の存在は俺にとって本当にストレスだったようで、二年になって顧問が変わってから神経性の下痢にずっと悩まされた。サッカー部は彼の王国だったため、レジスタンスである俺は事あるごとに辛酸を舐めさせられた。生徒の能力を伸ばしたい・チームを勝たせたい・・・ではなく、自分の命令に従う者だけの国を作ろうという感じだった。
この影響もあり、高校に入学した時は、顧問の先生が王様な部活にだけは絶対入らないと誓っていたものである。また中学には大変DQNな先輩がいて、俺と友達がパス練習していると、ボールを奪って川に蹴り込み、拾って来いと言われたことがある。この先輩ともそりが合わず、中1の頃は「生意気だ」ということで二回ほどシメられた。主にこの二名の影響もあって、「サッカーはバカな奴のするスポーツだ」という偏見まで生まれるほどだった。小学校の頃にあれだけ好きだったサッカーに対してここまで嫌いになってしまうとは思わなかった。今振り返っても、同期のサッカー部員に不満はなかったから、やはりあの2名の影響だったのだろう。3年になる頃には、完全にやる気がなくなってサッカー部は辞めたが、後悔はなかった。それぐらい顧問が嫌いだった。
「部活を途中で辞めるヤツは、他のことも途中でやめるヤツだ」という、親や教師の価値観を覆したかったこともあり、無駄に勉強しまくってた。中学三年間の期末試験や中間試験で、俺が一番でなかったのは2,3回だけだったと思う。ここには部活を辞める=何からも逃げるヤツ ではないことを示したい気持ちが強かった。
大人になって思うのは、嫌なものを続けても全く意味がないから、冷めたら、やめても全く問題ないということ。気持ちが続かないものはやめて、気持ちを入れることができるものに力を注いだ方が、人生は豊かになる。
英語教師は全くもってデリカシーがなく、ちょっと英文が読めない生徒を罵倒することが度々あった。正義漢の俺は、授業後に職員室に押しかけ、「さっきのは酷いんじゃないんですか!」と口論した。昼休みと掃除の時間、計30分ほどずっと言い合っていたが、通りすがった校長先生になだめられて教室に帰った覚えがある。
体育教師は本物の暴力教師だった。「俺はオマエのその目が気に入らねぇんだよ」と激昂した体育教師は、俺をクラス全員の前でデッキブラシで数発ブン殴った。正に公開処刑。巨漢の体育教師に中学一年生がかなうわけもなく、抵抗することすら許されずに完全にタコにされた。今思えば教育委員会に訴えて辞めさせればよかったというところだが、「教育委員会や親に密告するのは男らしくない=敗北」という、妙なプライドがあったため、大人には話さなかった。
そのほかにも事例はたくさんあるが、面倒なのでこれぐらいにしておく。
生徒会
そんなやざぐれていた中でも、生徒会はそれなりに頑張った。
生活委員会という風紀を取り締まる委員会の委員長に任命され、身支度の徹底や当時改正された頭髪問題(丸刈りしか許されていなかった校則が変わってから2年後だったため)の討論会や、学生帽の廃止にむけて学校側の理解を得るためにアンケートと討論会を実施して改革の一旦を担った。この委員会の顧問の先生はかなり厳しい先生だと、後輩から聞いていたため、粗相のないように言葉や態度、日程調整に十分気を遣い、すごく大人になったと思う。
一方で各委員会の委員長は、執行委員会というものにも所属したため、生徒会全体の運営にも力を注いだ。
計20名ほどで構成される委員会だったが、特に自己主張が強い者が5名ほどでおり、俺がその一人だったため、やりたい放題に近い状況だったかもしれない。文化祭には特に力を入れ、すべてが終幕した夜には執行部数名でウチに泊まって打ち上げをしたりもした。
その他
文化祭では合唱コンクールも頑張った。3年のコンクールのときには、数名で体でリズムとりまくって歌おうぜ!って声をかけて、ノリノリで揺れまくって歌ったら、結構高い声もきれいに出せた。普段誰にも心を許していないような奴が、コンクール当日にあんな歌い方をしたのだから、そのギャップにウケていた奴も多かろうと思う。
勉強は中学一年の頃から相当した。プライドが高かったため、常に一番でなければ気がすまず、中学生ながらテスト一ヶ月前だけは一日3時間は勉強していた。もっと遊んでもよかったと思う。いろんな面でガチガチの合理主義者で、自分にも他人にも厳しくて冷徹な人間だった気もする。あとは友達とキャンプしたり誰かんちに泊まったりとかした。特に夏はそういうイベントを企画するのがすきで、2チームに分かれてロケット花火や連発花火を打ち合うアフォなこととかもしてた。この頃にコレ!っていう、何か熱中できるものがあれば、凄く伸ばせた時期だったのになって思う。あとはもっと大人な視点が持てていれば、みんなともっと仲良くできたのになって思うが後の祭だ。違う高校に進学した友達で連絡を取る友達はほとんどいない。思春期でいろいろと拗らせてしまった弊害だ。
中2の冬に当時ハマっていたドラクエの最新作(6)が出たものの、昔ほどの高揚感がわかず、少しずつ冷めていったことは覚えている。ドラクエ6の後にクロノトリガーやってみて、クロノの方がスゲーと思ってしまった時に、それは顕著になった。ドラクエは3,4で天下とって、そこからは下り坂になるしかなかったのだろう。頂点極めたものはあとは落ちるだけだと、社会の先生が言ってたアレだ。それでもすぎやまこういち先生の指揮するコンサート会場での演奏は最高にシビれた。バイオリンやってみたいとか思ってしまい、のちのち面倒なことにはなった。
高校へは学校推薦で入学した。入試が面倒くさいと思っていたことと、自分より頭の良い奴らがいるだろう環境に惹かれた。これも後々後悔する考え方だったけど。